2009年02月14日
B&B
モミジマンジュー!!
モモー
メチャメチャインキヤデー
10年ほどまえに、ワールドツアーと称してカイシャのおカネで世界一周旅行なんぞをかなりの低予算でやらせていただき、そこここのそこそこメジャーなレコーディングスタジオなんぞを覗かせもらったりしたことがあります。
いちばん面白かったのはストックホルムにあるABBA御用達のスタジオ。デカいしキレイ。
その次はパリだったかな?リュック・ベンソンの映画用の録音スタジオ。これまたデカかった。
英国でもいろいろ観たはずなんですが、そういう記憶はあんまりなくて、ただB&Bの一室でぼんやりと眺めていた映画〔エレファントマン〕だけが妙に記憶にのこっています。
そのB&Bの朝食に出たチーズの乾いた味もよく覚えています。。。
でもそのB&Bが何と言う名前だったかは、すっかり忘れていたのですが、なぜか急にフラッシュバックしました。
「The Hindes Hotel in Harrow」ってヤツですね。
ちょっとスッキリしました。
どうしてまたそんなことを急におもい出したのかはサッパリ分かりません。
ただきょうが普段よりも暖かかったからかも知れません。。。
2009年02月01日
phaseshifter
昼下がりに寝て夜起きて、あとはゴロゴロ、ごろごろ。。。
そんな折、ボンゴレ刑事からかつて一緒にやっていたバンドの音源を送っていただきました。93年とか95年辺りの、、、もう十数年前なんですねェ。。。
その頃わたくしはキーボード弾きでございまして、KORG POLY800をメインに使っておりました。
POLY800は8ボイスのシンセサイザーですけれども、純アナログのモーグらに比べると(比べちゃいけませんが)音が痩せてるんですね。
でも、その痩せた音は歪ませてギターアンプから音を出すといい感じだったのです。
ただちょっとだけ工夫して、ディストーションの前にフェイザーをつないでおくんです。
そうするとオシレーターがひとつだけの音でもふたつのオシレーター同士のピッチが微妙に干渉しているような感じがでたりするんですね。
ギターアンプはVOX AC30とかYAMAHA F100とかがピッタリです。
あの頃、ディストーションはマクソンD&S、フェイザーはコルグの激レア踏んづけ、ディレイはグヤトーンのこれまたレアなヤツだったなァ。。。
ワウはJEN。効きが全然ちがいましたね。
聴いてみると、インプロと曲になってるものと半々ぐらいのバランスでしょうか、抑制の利いていない演奏に若さを感じたりします。
95年の演奏ではわたくしはテープ式キーボードの音にハマってたんですね。それのサンプルしか使ってないっぽいです。これ、たぶんEmuのモジュールですね。わたくしのむかしの曲を演奏したりしてます。あーすげー(笑
スタジオのリハ音源もありますね。これ、あとで加工したのかな?歌がところどころダブリングになってたり、キメにリバーブがドーンってかかったりしてますね。
あーこれおもしろいー♪
リハ録ってきてあとでいじくって作品にしちゃっても好いもんね。
もちろんライブの本番テイクをあとでどんどんいじっても好いですし。
こういう音源を十数年たっても聴けるってのは、そのときに録音していたからなんですよね。マメなボンゴレ刑事に感謝です。
2008年02月20日
シンキー
この項は、ここを普段ご覧になっている方々のうちの大半にとっては、どーでもえーお話しですの。
え? これに限った話しじゃないと? まァ、いいじゃないの。ホレ、つぎは何呑むのョ!ウチはロゼしか置いてないの!
さて。
ホント、むかァしに出てたHerbie Hancockのアルバムに〔Sunlight〕っていう、そうねェ……ディスコ時代の到来!っぽい感じのレコードがあったのね。70年代の終わり頃ね。

ほんで、わたしはそのアルバムのことを別件で知り、近所じゅうのレコード屋さんをまわってやっとのことで買ったの。ドブ板通りの端っこの辺りにある〔ラッキー〕って中古盤屋さんで。
買ったのは80年代に入ってからなんだけど、その頃その店は土地柄なのかしらね、ソウルとかファンクのレコードなんかが大量にあってね、恐らくは兵隊らが卸したりもしてたのかしらね、その辺はよく知らないけれど、とにかくそういうのが多かったのね。で、わたしが買った盤なんかは、もうお煎餅みたいにグニャグニャしてるヤツでね、レコード針を落とすとまァ、針が飛び跳ねちゃうぐらいのシロモノだったヮね。
それでも素晴らしい音楽だったの。だから聴きまくったヮね。言い換えれば、ホントにのめり込んで聴いていたって感じ。
どうしてそこまでのめり込んだか、って言いますと、このアルバムはボコーダーっていう機械を大フィーチャーしていたのね。わたしなんかの年代は、ちょうどシンセ世代だもンですから、そういうのをそれこそ貪るように聴いていたワケだ、いや、ワケです。
それでまたこのレコードのニクいところは、ジャケットの裏に機材がどっちゃり写ってる写真がドーンと載ってるのね。ほんらいの意図は知らないけれど、当時のわたしなんかにはまさしく「ナントカに刃物」でしたの。ええ。しかもその写真のかんたんな解説が内ジャケットかなにかに書いてあってね。
その後わたしはそちらの世界へどんどんイっちゃって、イきすぎたからいまはこうして穏やかに暮らしてるンですけど、あれから20年以上たってもどうにも腑に落ちない記述があったのね。
その記述ってのは「Sequential Circuits Prophet Synthesizer」っていうものだったンだけど、これがどうにも理解できない。なぜなら、そういうものがないからだったの。
で、これまで20年以上放っといたモヤモヤを解消しよう!と、先ほどまで調べていたらアータ、正解を見つけましたの!
こいつは、EMLっていうアメリカの会社でつくってた「SynKey」ってモデルだったのね。ついでにこのSynKeyがどういうものなのかをいろいろと読みあさっていたら、まァ、時代なのね。いわゆるパラフォニック方式っていうのかしら、あるいは嘘ポリっていうのかしら、分周方式のポリフォニック・オシレータの後ろに、モノフォニックのフィルターとかの後段が控えているっていうタイプの代物だったのね。ああ、面白い。
EMLっていうと、Electro Compっていうモジュラーっぽいシンセサイザーが有名よね。ちょっとマニアックな音が出て、これはこれで好きだったヮ。
これで長年の疑問がひとつ解消されたわけです。あァ、スッキリ。ネットって、すごいもンですねェ〜
はい、ロゼで乾杯。
え? これに限った話しじゃないと? まァ、いいじゃないの。ホレ、つぎは何呑むのョ!ウチはロゼしか置いてないの!
さて。
ホント、むかァしに出てたHerbie Hancockのアルバムに〔Sunlight〕っていう、そうねェ……ディスコ時代の到来!っぽい感じのレコードがあったのね。70年代の終わり頃ね。

ほんで、わたしはそのアルバムのことを別件で知り、近所じゅうのレコード屋さんをまわってやっとのことで買ったの。ドブ板通りの端っこの辺りにある〔ラッキー〕って中古盤屋さんで。
買ったのは80年代に入ってからなんだけど、その頃その店は土地柄なのかしらね、ソウルとかファンクのレコードなんかが大量にあってね、恐らくは兵隊らが卸したりもしてたのかしらね、その辺はよく知らないけれど、とにかくそういうのが多かったのね。で、わたしが買った盤なんかは、もうお煎餅みたいにグニャグニャしてるヤツでね、レコード針を落とすとまァ、針が飛び跳ねちゃうぐらいのシロモノだったヮね。
それでも素晴らしい音楽だったの。だから聴きまくったヮね。言い換えれば、ホントにのめり込んで聴いていたって感じ。
どうしてそこまでのめり込んだか、って言いますと、このアルバムはボコーダーっていう機械を大フィーチャーしていたのね。わたしなんかの年代は、ちょうどシンセ世代だもンですから、そういうのをそれこそ貪るように聴いていたワケだ、いや、ワケです。
それでまたこのレコードのニクいところは、ジャケットの裏に機材がどっちゃり写ってる写真がドーンと載ってるのね。ほんらいの意図は知らないけれど、当時のわたしなんかにはまさしく「ナントカに刃物」でしたの。ええ。しかもその写真のかんたんな解説が内ジャケットかなにかに書いてあってね。
その後わたしはそちらの世界へどんどんイっちゃって、イきすぎたからいまはこうして穏やかに暮らしてるンですけど、あれから20年以上たってもどうにも腑に落ちない記述があったのね。
その記述ってのは「Sequential Circuits Prophet Synthesizer」っていうものだったンだけど、これがどうにも理解できない。なぜなら、そういうものがないからだったの。
で、これまで20年以上放っといたモヤモヤを解消しよう!と、先ほどまで調べていたらアータ、正解を見つけましたの!
こいつは、EMLっていうアメリカの会社でつくってた「SynKey」ってモデルだったのね。ついでにこのSynKeyがどういうものなのかをいろいろと読みあさっていたら、まァ、時代なのね。いわゆるパラフォニック方式っていうのかしら、あるいは嘘ポリっていうのかしら、分周方式のポリフォニック・オシレータの後ろに、モノフォニックのフィルターとかの後段が控えているっていうタイプの代物だったのね。ああ、面白い。
EMLっていうと、Electro Compっていうモジュラーっぽいシンセサイザーが有名よね。ちょっとマニアックな音が出て、これはこれで好きだったヮ。
これで長年の疑問がひとつ解消されたわけです。あァ、スッキリ。ネットって、すごいもンですねェ〜
はい、ロゼで乾杯。
2007年12月22日
8−17
夜中にこっそりドライブ。三浦半島の先っぽの辺り。ここが、わたしが最初に育った小さな町。
その当時の家がいまもあるの。その家は、父が勤めていた会社の持ちものだったんだけど、わたしたちが引っ越した何年もあとに、その建物は人手に渡り、いまは賃貸住宅として当時のすがたそのままに(少なくとも外観だけは)40年前と同じ場所にあるの。
2階建ての木造住宅。いまは、1階と2階とを別々にそれぞれ2世帯が住めるようになっているみたい。当時の玄関(といってもフツーのドアがあっただけのものだったけど)の痕跡はなく、内部は相当にリフォームされているんじゃないかしら。
そりゃそうでしょ。だって40年以上まえから建っている家だもの。
わたしはY市内のある病院で生まれ、三浦半島の先っぽにある小さな町で5歳になる年の冬まで過ごしたの。
その家が、少なくとも外観だけは、当時のままあるってことが、なんともうれしくて。
2階に上がる急な階段があって、その上がったところに足踏み式のブラザー製ミシンがあって、その上に小さなコロムビア製のレコードプレーヤーがあって、わたしはそこへのぼっておはなしのソノシートを聴くのが大好きだった。2歳のころね。『ピコちゃんのお母さんはどこへ行ったの?』とかね。
いま考えると何ともすごいアングルだよね。だってストレートの急な階段のてっぺんにミシンがあって、その上にのぼってレコード聴いてたんだから。落ちたらどうなるのよ。ひょっとしたら落ちたこともあるのかも知れない。
家のまえは庭と言うか駐車場というか、とにかくそういうスペースがあって、いまはアスファルトで塗り固めてあるけど当時は砂利。端っこで鶏を飼ってた。もちろん食用。
一軒はさんだ隣りに〔来々軒〕という中華屋さんがあって、それはいまでもやってるみたい。看板に電話番号が書いてあって、それは当時のまま。
〔来々軒〕の反対側に目をやると、下り坂の狭い路地があって、それを下りるとアパートが何軒かあるのね。その景色もむかしのまま。そのアパートのどれかにアッコちゃんが住んでて、保育園へ行くときに迎えにいくと、アッコちゃんは猫舌でご飯が食べられないの。
「熱いよ〜」なんてお母さんにゴネると、お母さんがそのお茶碗へお水を入れちゃうのね。わたしはそれを何度も見てたんだけど、その都度おどろいていた。
そんなことをおもい出しながら、むかし住んでいた家を見ていたの。夜中に。
あんまり凝視してたら危ないひとになっちゃうから、ある程度にしておこうとおもってたんだけど、けっこう凝視しちゃったかも。
何故かと言うと、その家の2階部分に「入居者募集中」の看板がかかっていたの。それでしげしげと見ちゃったのね。よく見ると2階部分へつながってる外階段があった。
それを見て、
(あの階段はもうないんだ……)
っておもったと同時に、それで踏ん切りがついたように
(さ、次へ行こう)
とも、おもった。
それで、この家を借りることはやめようと決めて、湘南へ帰ることに。
その道すがら、こんなことをおもい出した。
小学2年生のときに、自転車で当時の自宅からその最初の家へ行ったことがあった。距離にして20kmぐらいのものだけど、子どもの足だったから昼前に出てうちへ帰ってきたのは夜7時ごろだったとおもうな。どうにかこうにかうちへ帰って来れて、母親の顔を見た途端に泣きだしたっけ。
どうして行こうとおもったのか、そのことを今更ながらに考えてみたけど、これというのは出てこなかった。
でもまァ、あの地では相当にたのしんだ覚えがあって、それに少し惹かれているんだろうな。何しろ人生最初の地だったからね。
evergreenだかstrawberry fieldsだか、なんだかはわからないけれど、ちょっとチカラをもらえる土地、そこがM市S山町。
その当時の家がいまもあるの。その家は、父が勤めていた会社の持ちものだったんだけど、わたしたちが引っ越した何年もあとに、その建物は人手に渡り、いまは賃貸住宅として当時のすがたそのままに(少なくとも外観だけは)40年前と同じ場所にあるの。
2階建ての木造住宅。いまは、1階と2階とを別々にそれぞれ2世帯が住めるようになっているみたい。当時の玄関(といってもフツーのドアがあっただけのものだったけど)の痕跡はなく、内部は相当にリフォームされているんじゃないかしら。
そりゃそうでしょ。だって40年以上まえから建っている家だもの。
わたしはY市内のある病院で生まれ、三浦半島の先っぽにある小さな町で5歳になる年の冬まで過ごしたの。
その家が、少なくとも外観だけは、当時のままあるってことが、なんともうれしくて。
2階に上がる急な階段があって、その上がったところに足踏み式のブラザー製ミシンがあって、その上に小さなコロムビア製のレコードプレーヤーがあって、わたしはそこへのぼっておはなしのソノシートを聴くのが大好きだった。2歳のころね。『ピコちゃんのお母さんはどこへ行ったの?』とかね。
いま考えると何ともすごいアングルだよね。だってストレートの急な階段のてっぺんにミシンがあって、その上にのぼってレコード聴いてたんだから。落ちたらどうなるのよ。ひょっとしたら落ちたこともあるのかも知れない。
家のまえは庭と言うか駐車場というか、とにかくそういうスペースがあって、いまはアスファルトで塗り固めてあるけど当時は砂利。端っこで鶏を飼ってた。もちろん食用。
一軒はさんだ隣りに〔来々軒〕という中華屋さんがあって、それはいまでもやってるみたい。看板に電話番号が書いてあって、それは当時のまま。
〔来々軒〕の反対側に目をやると、下り坂の狭い路地があって、それを下りるとアパートが何軒かあるのね。その景色もむかしのまま。そのアパートのどれかにアッコちゃんが住んでて、保育園へ行くときに迎えにいくと、アッコちゃんは猫舌でご飯が食べられないの。
「熱いよ〜」なんてお母さんにゴネると、お母さんがそのお茶碗へお水を入れちゃうのね。わたしはそれを何度も見てたんだけど、その都度おどろいていた。
そんなことをおもい出しながら、むかし住んでいた家を見ていたの。夜中に。
あんまり凝視してたら危ないひとになっちゃうから、ある程度にしておこうとおもってたんだけど、けっこう凝視しちゃったかも。
何故かと言うと、その家の2階部分に「入居者募集中」の看板がかかっていたの。それでしげしげと見ちゃったのね。よく見ると2階部分へつながってる外階段があった。
それを見て、
(あの階段はもうないんだ……)
っておもったと同時に、それで踏ん切りがついたように
(さ、次へ行こう)
とも、おもった。
それで、この家を借りることはやめようと決めて、湘南へ帰ることに。
その道すがら、こんなことをおもい出した。
小学2年生のときに、自転車で当時の自宅からその最初の家へ行ったことがあった。距離にして20kmぐらいのものだけど、子どもの足だったから昼前に出てうちへ帰ってきたのは夜7時ごろだったとおもうな。どうにかこうにかうちへ帰って来れて、母親の顔を見た途端に泣きだしたっけ。
どうして行こうとおもったのか、そのことを今更ながらに考えてみたけど、これというのは出てこなかった。
でもまァ、あの地では相当にたのしんだ覚えがあって、それに少し惹かれているんだろうな。何しろ人生最初の地だったからね。
evergreenだかstrawberry fieldsだか、なんだかはわからないけれど、ちょっとチカラをもらえる土地、そこがM市S山町。


