夜中にこっそりドライブ。三浦半島の先っぽの辺り。ここが、わたしが最初に育った小さな町。
その当時の家がいまもあるの。その家は、父が勤めていた会社の持ちものだったんだけど、わたしたちが引っ越した何年もあとに、その建物は人手に渡り、いまは賃貸住宅として当時のすがたそのままに(少なくとも外観だけは)40年前と同じ場所にあるの。
2階建ての木造住宅。いまは、1階と2階とを別々にそれぞれ2世帯が住めるようになっているみたい。当時の玄関(といってもフツーのドアがあっただけのものだったけど)の痕跡はなく、内部は相当にリフォームされているんじゃないかしら。
そりゃそうでしょ。だって40年以上まえから建っている家だもの。
わたしはY市内のある病院で生まれ、三浦半島の先っぽにある小さな町で5歳になる年の冬まで過ごしたの。
その家が、少なくとも外観だけは、当時のままあるってことが、なんともうれしくて。
2階に上がる急な階段があって、その上がったところに足踏み式のブラザー製ミシンがあって、その上に小さなコロムビア製のレコードプレーヤーがあって、わたしはそこへのぼっておはなしのソノシートを聴くのが大好きだった。2歳のころね。『ピコちゃんのお母さんはどこへ行ったの?』とかね。
いま考えると何ともすごいアングルだよね。だってストレートの急な階段のてっぺんにミシンがあって、その上にのぼってレコード聴いてたんだから。落ちたらどうなるのよ。ひょっとしたら落ちたこともあるのかも知れない。
家のまえは庭と言うか駐車場というか、とにかくそういうスペースがあって、いまはアスファルトで塗り固めてあるけど当時は砂利。端っこで鶏を飼ってた。もちろん食用。
一軒はさんだ隣りに〔来々軒〕という中華屋さんがあって、それはいまでもやってるみたい。看板に電話番号が書いてあって、それは当時のまま。
〔来々軒〕の反対側に目をやると、下り坂の狭い路地があって、それを下りるとアパートが何軒かあるのね。その景色もむかしのまま。そのアパートのどれかにアッコちゃんが住んでて、保育園へ行くときに迎えにいくと、アッコちゃんは猫舌でご飯が食べられないの。
「熱いよ〜」なんてお母さんにゴネると、お母さんがそのお茶碗へお水を入れちゃうのね。わたしはそれを何度も見てたんだけど、その都度おどろいていた。
そんなことをおもい出しながら、むかし住んでいた家を見ていたの。夜中に。
あんまり凝視してたら危ないひとになっちゃうから、ある程度にしておこうとおもってたんだけど、けっこう凝視しちゃったかも。
何故かと言うと、その家の2階部分に「入居者募集中」の看板がかかっていたの。それでしげしげと見ちゃったのね。よく見ると2階部分へつながってる外階段があった。
それを見て、
(あの階段はもうないんだ……)
っておもったと同時に、それで踏ん切りがついたように
(さ、次へ行こう)
とも、おもった。
それで、この家を借りることはやめようと決めて、湘南へ帰ることに。
その道すがら、こんなことをおもい出した。
小学2年生のときに、自転車で当時の自宅からその最初の家へ行ったことがあった。距離にして20kmぐらいのものだけど、子どもの足だったから昼前に出てうちへ帰ってきたのは夜7時ごろだったとおもうな。どうにかこうにかうちへ帰って来れて、母親の顔を見た途端に泣きだしたっけ。
どうして行こうとおもったのか、そのことを今更ながらに考えてみたけど、これというのは出てこなかった。
でもまァ、あの地では相当にたのしんだ覚えがあって、それに少し惹かれているんだろうな。何しろ人生最初の地だったからね。
evergreenだかstrawberry fieldsだか、なんだかはわからないけれど、ちょっとチカラをもらえる土地、そこがM市S山町。
posted by minoru "dummy" koike at 04:20|
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